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骨折、いたしました。

2011.08.02に右足のくるぶし(踝)を骨折をした人の体験記(骨折ブログ)です。 +他にもいろいろ情報あります♪

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さてさて、その当時の担当医のN先生、リネン室に私を呼び出しました(笑)
二人きりになるために。
いや、色っぽい意味ではなく、相部屋だったから。

投薬開始して二ヶ月ほど経過していました。
副腎皮質ステロイド、血小板を増加させる薬共に効き目がない。
本来なら半年は投薬をして、それから判断するところだけど、学生さんだからそれをすれば留年決定。脾臓摘出手術を受ければ、1月には退院ができるとのこと。

入院したのが11月。11、12月と様子を見て、副腎皮質ステロイドでは症状がまったく変わらなかったそうです。あんだけ副作用出たのに‥‥‥

で、手術する? という問いに
「します♪」
と即答のふじさわ。

あーー、今思い出してもN先生の唖然とした顔が鮮明に。
先生としては、10代女子の体に傷をつけるのがイヤだったみたい(^^;)
ちなみに、現在は脾臓摘出してもレーザーが使えるので小さな傷が脇腹に出来るだけだそうですが、私が入院していた20年以上前は胸の下から臍の上まで、10センチ以上の傷跡が残る切開手術です。
調べてビックリした。
今はレーザーか。すごいな~。

ただ、問題は脾臓を摘出しても、それでも治らない人がいるということ。脾臓を摘出して、他の問題が出てきちゃう人もいるということです。

説明は受けたんですが、ふじさわ、
「留年するよりいいです! してください!!(^o^)」
‥‥‥N先生、呆然。
ごめん、おじいちゃん先生なのにビックリさせて。

実は、この二ヶ月の投薬療法の間に、祖母が亡くなりました。
四階なのに、お見舞いの許可がほとんどおりず、一度だけ、数値が物凄くいい日にお見舞いが出来ただけでした。
やせ細った祖母。
私が誰かなのかもわかりませんでした。
葬式に参列されることも許されず、父は、祖母の葬式で「娘を連れて行かないでくれ」と泣いたそうです。



感動する場面なんですが、N先生、「これは治る病気、もしくは日常生活を送れるようになる病気です」と言っていたんですが‥‥‥
未だに、親戚に会うとネタにされます。(あんまり親戚とやり取りがないので会いませんけど)

ありがたいことだと思いつつも、亡父、思い込みが激しかったんだよね‥‥‥
と思ってしまう冷静な娘です。ごめん、父。

二ヶ月の入院生活。
居心地がいいのですが(食っちゃ寝して、デッサンして課題の勉強して‥‥‥授業のノートは程々にでした)、なによりの不安が、留年して友達を先輩と呼ばなければならない!! というのが「嫌!!!」ということでした。

え、悩みがそれしかない?
だって、N先生が治るって言ったもん。
という感じでした。

今、思い返してみても
・入院した時に従姉がアップルパイを大量に差し入れてくれて、父母は祖母の看病にかかりきりでこっちにはまったく来なかったので(日に数分顔を出しただけ)、食べていいといわれて毎日アップルパイで幸せだった。
・コアラのマーチを母が買ってきてくれたけど、自分で売店にいけないから、なくなると悲しいから一日三コアラだけ食べて、切ない思いをしていた。(子供だから、看護師さんに頼んで買ってきてもらうっていう発想がなかった)
・友達が大量に貸してくれた宇宙皇子大ブーム。っつーか各務ちゃんが大好きだったので、後半の展開に吃驚仰天。
・同人誌の原稿作ってたら看護師さんに覗かれた。
・部屋で段ボール箱をデッサンするために、薬の空き箱をもらった。
という感じののほほん振り。

毎日の採血が辛かったくらいかな。
後は見舞いに来た友人が血液の病気だったから「エイズでしょ」と冷やかしてきたことに、カチンと来たくらい?
(病気で入院している人に、病気の冗談は通じません。特に悪気のある冷やかしは腹立たしいだけ。まだ根に持ってるよ! エイズの人に対しても失礼だ!!)

二ヶ月入院生活を送って、そろそろこの生活に飽きてたんですよね。
手術して退院できるなら、いいかな~という。

あああ、私、本当に小説の主人公とかに向いていない、悩まない人だな~。
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さてさて、ふじさわですが、骨折して手術‥‥‥となっているのに、文章を読む感じ、動じていないように感じられたと思います。

それもそのはず(笑)
ふじさわ、実は20年以上前に大病を患っておりまして、未だに完治! と断言できない状態なのですが。まあ、実際は完治していますが、この病気のため、ずっと体調には気を遣わなければいけないのです。

その病名は
「特発性血小板減少性紫斑病」

Wikiの特発性血小板減少性紫斑病

難病情報センターさまの特発性血小板減少性紫斑病

特定疾患です。

小説書いていると、長期入院してて、必ず治る病気ないかな~とか不穏なことを考えることがあるかと思うのですが(苦笑)
この病気、投薬もしくは脾臓摘出が合えばそれほど死ぬ確立は高くはないそうです。
なので、半年程の入院や、留年理由にするにはいい病気だと思います。←おいおい。
(長期化する方はかなり長期化します。ご注意を)

特発性血小板減少性紫斑病
とは、簡単に言えば脾臓(ひぞう)が頑張り過ぎて血液の中の血小板を破壊しまくり、内出血をさせてしまう病気です。
血小板数が
 基準値:15万~40万/μ
 薬で10万/μL以上を保てるなら薬療法。半年経過しても改善しなければ脾臓摘出する場合もあり。
 緊急入院、非常に危ないのは2万/μL
ふじさわの場合は、2千/μL台になっており、全身青あざだらけ。ちょっと頭とか内臓ぶつけていたら死んでいても不思議でない状態だったとのことです。

血小板は血を止める役割をしてくれます。
それの数が少なかったら?
血がドバドバでちゃう(笑) 内出血だらけになっちゃうわけです。青あざってのんびり言っていても、これが脳や内臓の中に出来てしまったら?
もう、即→死。なわけです。
あー、怖いですね。

ちなみに当時16歳。
高校一年生の文化祭が終わった日に、重いものがまったくもてない。体中に青あざが出来てる。周囲から病院に行け!!と言われて、翌日病院に行ったら特発性血小板減少性紫斑病と診断されて、即入院ということになりました。自分吃驚。友達も吃驚。

・外出禁止
・入院している階の外に出るのはもとより、トイレ以外病室の外に出るの禁止
・運動禁止
・ベッドの上でおとなしくしていること

と、いう感じでした。
病室は四人ベッドの入り口近くの右のベッド。
血液内科の人が多い病室でした。
入院したのは隣の市の病院で、当時はJR駅に近い場所にありました。(現在は移転して田んぼのど真ん中)

即入院なので荷物はすべて父母が運んでくれましたが、ここで問題が‥‥‥
実は、祖母が危篤状態だったのです。
私より先に四階に入院していたんですが、父母は二人の入院患者を抱え、のほほんとしている娘よりも危篤状態の祖母の元へ行くことが多かったです。
なので、することもなく、学校の課題のデッサンをやりまくってました(笑)
(ちなみにふじさわ、工業高校のデザイン科卒なのです)

最初は投薬療法。
今は抗菌剤でピロリ菌の除菌を行う方法が正式保険適用になっていますが、私が入院していた頃はプレドニンという副腎皮質ステロイドの投薬が一般的でした。
副腎皮質ステロイドの副作用としては、
・顔が浮腫む(本当にぶよぶよになるの)
・吹き出物が大量に出来る(吹き出物というよりも、顔に凹凸が出来る感じ)
という乙女としてはいやんな症状ばかり出ておりました。
(他にもいろいろ副作用があるこわーい薬なんですが、私はこれだけでした)
この頃、出会った人は、私が退院して顔面が変わって行くのをどう思ってたんだろう(苦笑)

通常は、これで半年程経過を見ます。




学生さんなら留年決定ね。
さてさて、現代小説を書いている方への情報? エッセイ? です。

先生の回診ですが、病状によって違いますね~。
高校一年の時に、長期入院した時は、(あれ? なんか日本語変?)病気が難病指定だったためか、先生が新人さんとか看護士さんとか引き連れての、ドラマのような回診でした。
市の大きな病院だったのもあって、午前中に
「先生~の、お~な~~~り~~~(語尾下がる)」
みたいな感じ。

それが、骨折時は先生がひとりでふら~って現れて、「どう? どう?」って感じ。
頭痛担当の内科の先生も、病院長も、M先生も。
ふらっと現れて、ちょっと見て、ふらっと去っていく。
血圧とか測る機械(なのかな?)を押して(大きさはスーパーの買い物カートが三分の一くらいになった感じ。それにお父さんスイッチ付けたみたいな大きさ。あー、わかりにくい表現だな‥‥‥)ひょこっと現れる。



病院に寄って、違うのね。


200床以上の大病院とかだと、回診時間が決まっていて、午前は回診があるのでお見舞いは午後からとか指定がある病院もあります。(お見舞い時間は朝9:00~夜9:00で回診があったら部屋から出てね。っていうところもありますね)

主治医の回診は時間が決まっていて、看護士さんは朝昼晩とチェックしに来てくれて、ちょこちょこと顔も出してくれるっていう感じです。ちなみに看護士さんの朝晩のチェックは点呼を兼ねていることも多いです。
この点呼時間までには病室に戻るようにって。
 さてさて、現代小説を書いている方への情報? エッセイ? です。

入院している時ですが、通常パジャマから着替えません。
なので、入院が急に決まると「パジャマ!!!」ってなりますね~。

ふじさわの場合、夏の整復手術の時は長くなったのとリハビリ前提だったので、
Tシャツ&綿のパンツ(スパッツほどピチピチしてないパジャマの下みたいな、ホームウェア)でした。
リハビリするとけっこう汗をかくので、夏場はこの格好でしたね。

それで、パジャマから洋服に着替えない代わりに、朝にパッド付きのタンクトップを着込んでました。
やっぱりブラなしは恥ずかしいので(^^;)

誰か着たら着替えればいいや~って意外と通用しないです。
朝からちょこちょこちょこと誰かが覗きにきます。
まあ、ほったらかしはないですよね、病院ですから(笑)

ちなみに冬場の抜釘手術時は、ユ○クロの上下セットのホームウェアを三組購入。



よれよれのパジャマしかなかったから‥‥‥
いや、中学三年生の時に作ったパジャマをまだ着ている自分にびっくり(^^;)
パジャマってなかなか痛まないから早々買い換えないよね。
ね‥‥‥
ね?
そうだよね?

ちなみに、どちらも袖や裾にゴムが入って「きゅっ」ってなるのは避けた方がいいです。
採血の時に大変。点滴の時に大変。リハビリの時に大変。
通院する時にもこれは注意した方がいいですよ~。
採血の時に腕を捲くるんだけど、冬場だといろいろ着ているので捲くれない。とほほ。

あと、冬場に長期入院した時は半纏持参してました(笑)
いや、だって病院内意外と寒いんだよ。特に古い病院は。
 さてさて、現代小説を書いている方への情報? エッセイ? です。

*温かいものと冷たいものがそのまま!
食事ですが、内科や動けない状態の時など看護士さんやヘルパーさんが部屋まで運んでくれますが、最近は進化しております!!!

保温、冷温がカートの中で分かれていて、ごはんやおかずは温かいまま、デザートなどは冷たいまま!と仕切られているのです。すっごい。
膜の張ったカレーとか、べろんべろんに伸びたラーメンなど過去の話?
ああ、ビックリした。


*食事を下げるのは自分で。
病状にもよりますが、動ける人は食事のトレーを食堂や廊下にカートがあるのでそこに戻します。
だいたいお名前が記載されているプレートや用紙が載っていて、後で係りの人がどれくらい残したとかチェックするようです。病院によっては検温時間に看護士さんがどれくらい食べれたか聞いてきます。


*まずい病院はまずい。
(笑)
病院食は、まずい人はまずいって言いますね~。
・基本、薄味。
・基本、しょうゆ味。
なので、ソースや濃い味のものが好きな人はだいたいまずいって言います。
あと、化学調味料に舌が慣れている人。
なんか物足りないってなるみたい。
化学調味料は怖いよ~。やめれるならやめた方がいい。

TKGに化学調味料なんて、もったいない。
ホント、いい卵買おうよ。TKGに失礼だ!!!

※注意→TKG→たまごかけご飯。セレブの食べ物になりませんように!!(^o^)
このネタがわかる方は祖国さま好きね?(笑)



ちなみにふじさわの亡父がケ○タッキー大好きで、癌で入院中に食べたがりました。
病気にもよりますが、お見舞いの人が入院食を食べて、患者がファーストフード食べても看護士さんはそっと見逃してくれます(^^;)
‥‥‥たぶん、亡父は末期癌で闘病中だったので見逃してくれたのでしょうね。
あと、私が高校一年の時に血液の病気で入院していた時も、夜鳴きラーメン見逃してくれました。
看護士さん、ありがとう!!
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